2015年2月27日金曜日

はじまりのうた



すこし春になってきて、何を観ようかなと考えたときに
きっとこの映画が素敵な気がして良いかもしれないと思った。

あさおひるをゆっくり食べて、電車に乗って観に行った。










都会のバーハウスで、ひとりぼっちのグレタとダン。
ダンには、浮かない気分のグレタの痩せっぽち声の一曲の音楽の奥に ピアノがみえてリズムがみえる  




2人が出会って、
ダンがみた想像がどんどんリアルなメロディとなってリズムを刻む、
街をでて、みんなが集まり音楽と街が溶けて空間になる













もうそれだけで幸せなのだけど、
(「1人5ドルよこせ!」というキッズたちが緊張してコーラス加わってるの超かわいい)



溶けた魔法の場所に少し入れるスペースがあるのが嬉しい。

そのスペースにもじもじしながらも飛び込むダンの娘のヴァイオレットが搔き鳴らすギターは痺れてしまう
不機嫌なティーンと下手っぴギターはなぜこんなにも相性がいいんだろう














いいなと思ったのが、

まだダンと出会う前のシーンの
一緒にNYに出てきた恋人のデイヴの変化に気づくところ

デイヴがレコーディングから帰ってきて、新しい曲ができたと言う時点で
嫌な予感はするのだけど



曲を聴いて「あれ?わたし何か落としたかな」とピンとこなくてわからなかった。
(単に、音楽に疎いだけかもしれない)




その変化はグレタだからわかることで、
音楽と一緒に過ごして積み重ねた2人の時間がよくわかるシーンで良いなと思った。






主人公のグレタは、

楽しいから、悲しいから といって
安直に何かに溺れたり、誰かに依存しようとしたり
音楽を逃避の道具にしたりしない


今の自分の気持ちをしっかり見つめて決断する。









悲しいことがあったときに
すぐさま忘却装置を連打しようとしたり、
悲しい気持ちを怒りに転換したり、
誰かにそのエネルギーをどうにかしてもらおう
という行為を私が苦手だからなのか
そんな人に見えた。




過去は過去であって、思い出をそっと宝箱に閉じておくことはできても、
それを引っ張りだして無理やりリプレイしても違った形に変化する


だけど、変化しても良い音楽は繰り返されるべきだと私は思う 















おまじないを言いながら淹れてくれる紅茶や
ついつい踊りたくなってしまう曲やベタなサントラ入りのプレイリスト
彼女は明日なにをするのだろう?と、新しいスタートを感じるラスト







ひとつひとつ、細かいけど良いなと思うものが積み重なっていく映画で
きっと繰り返すことによって増していく気がしている





なるべくまた、映画館で観れたらいいな






あと、
映画館の真下にタワレコがあるため、ふらっと入ってサントラやっぱり買ってしまいました。







わたしは春になると、
あまり飲まない炭酸がとても飲みたくなります

CDを買ったあと、歌詞カードみながら色々思い出しつつ
フレッシュネスバーガーのメニューで好きな自家製ジンジャエールを飲みました。







2014年7月13日日曜日

her 世界でひとつの彼女





暑い夏がはじまって、下半期いちばん最初にみた映画。とっても楽しみだったから公開まで長かったけど、あっという間だったような。












story...近未来のロサンゼルス といっても今より少し発達してるくらい。他人に代わって友人や恋人への手紙を書く代筆ライターのセオドア。離婚調停中の妻あり。人工知能型OSのサマンサに恋をする。








この映画の全体の色のイメージはジュース・バーだそう。
Band of outsidersのトマトレッドのみたいなシャツ、ビーチのシーン、セオドアのオフィスなどパッションフルーツのような色味。



















私は、パキっと強すぎる色味が苦手だけど、暖かみのあるフルーツ色のユートピアは理想的。

暖色カラーの心地よさそうな世界の、少し発達しているテクノロジーと、ぼんやり流れてくるセオドアの孤独。















スパイク・ジョーンズのインタビューでは、
実体をもたない人工知能型OSとの恋愛だけど、
他者と関係を築いたり、関係を保つ時にでてくる(want )(need )(fear)などの感情が1番のテーマとなっていると読んでいたとおり、
ふわふわとした幸福感や、ちくりとする痛みとか、それ知ってる!というのも多かったです。





彼女を左のポケットに入れて行くデートなんてすごく楽しそう!











印象に残っているシーンは、セオドアが


自分は人生の中で、味わう感情を全部経験し尽くしてしまって、新しい感情はなくなっちゃったのではないか。
この感情は今までの感情の劣化版ではないか




と、そんな感じのことをサマンサに言うところ。



自分のリアルな感情が行方不明になりわからなくなってしまって、心の小さな穴に落ちてしまう感覚





「感情の劣化版」という言葉が強く残りました。









街にいる他人を観察して、
この人はどんなことを考えているのだろう?どんな恋愛を経験してきたのだろう?と考えるんだとセオドアは言っていました。

そんな風に、他人に対して「?」が浮かぶのに、なぜか近い人と距離を保つ過程で自分本位になっちゃったり。など、恋愛についてまわる問題って多いなあ、なんて考えてました。








セオドアがブラインドデートをする女の人とのやりとりも、短いシーンだけどすごく彼女の人間性がとっても伝わってきました。








お友達のエイミーの大事なのは主観でしょ?というような彼女の考えがさりげない会話にあったり。






その他にもたくさん頭に残る言葉が多く、それと一緒にひっかかる感情も多いくて
「人間って複雑ね」とサマンサが言うように複雑だなあと思いました






私は人間は誰とでも何とでも恋に落ちることは可能だと思っていたので、人工知能との恋愛を通して、監督の言うメインテーマの感情を見るのが楽しみだったんだけど、
意外に観たあとには、観る前よりテクノロジーと人間について考えていたなあと思います






よく、進化したテクノロジーによって人との関わりが希薄になる云々は、その通りだなと思うんだけど、この映画はそういうのに感じなかった



どうしても昔に戻ることは絶対できないし、

かといって、人間は心と体を完全に分離することはできなくて機械にも絶対になりきれない。
それってなんて孤独なことだろうと少し悲しくもなりました。どちらにも行けない。



サマンサのようにどこへでも行けて、柔軟な思考で、しかも深く愛することもできる、ぐんぐん進化するアップデートの様子を見ているとちょっぴりそんな風に私は思いました。










サマンサが肉体をもつ人間にはなれないけど「私は私」と思ったように
人間も機械には絶対なれなくて誰かと融合することもできない。自分は自分。



そんなことを感じるラストショットが美しくもあって、ほろ苦かったです

















Arcade FireとOwen pallettの音楽は、ピアノとかの音と電子音が合わさってすごく繊細で美しかったので、
あんまりめんどくさい映画好きじゃないって人でも、何となくストーリー追って、合わせて音楽を聴くだけでも良いと思う!






アカデミー賞でエズラと歌ってて、わぁーとなったカレン・Oの「The Moon Song」もとびっきり素敵だし
肉体をもたない彼女との記念撮影で流れるシーンの曲が、私は1番印象深くて、本当に素晴らしくて大好き!








この前読んだOwen pallettのインタビューも面白くて、彼の繊細さがこういう音を作るんだなと映画と合わせて見れてよかったです。



あと
へなへなしている字が可愛くてTシャツもうっかり買いました。セオドアを真似してハイウエストなパンツに合わせて着たい。小物をジュースバーカラーで合わせたら、より映画の世界に浸れそうなのでトマト色の靴下が欲しいなあと思います。 








2013年12月1日日曜日

マイ・マザー






先日、グザヴィエ・ドランの初監督作品の「マイ・マザー」を観ました。









Story... 17才のユベール。悪趣味なインテリアに、テレビばかり観て教養のない母親との2人暮らし。なかなか安定した関係を築けず、愛憎入り混じった感情をコントロールできない




“思春期の鬱屈が描かれている”と何かで読んだ。




もちろんその通りなんだけど
それだけでは少し寂しい。






母親の口元の極端なアップから始まる最初のシーン。
この時点で何が今から始まるかというのがわかる。


母親の食事の食べ方、車内での言い合いのシーン、
対比のような母と息子の部屋など身に覚えがあるようなシーンが続く。










この作品を観て一番引っかかったのが
人との関係性について。また母と子のどうしようもないパラドックスについてでした。





他者との関係を築く中で、ぶつかる問題のひとつが



その人の「知識がない」ことへの嫌悪ではなく、
「知識を深めようとしない」ことへの違和感ってあると思う




その問題とは関係のないことなのに、セットになって
その個人へのやることなすこと騒音にしか思えないような憎悪にも似た感情が芽生えるというのもあると思う




あれ
これこそが、私小説風な思春期の鬱屈なのでしょうか






センスの良し悪しや、その人の生きる姿勢なんて
個人の自由なことは知ってて本当は意見なんてしたくない。




よくわかんないけど、
観ていて、痛くて辛かった。




恋人だったり、友達の場合は
関係を断ち切ったり、違和感を感じても他人だからこそ目を瞑って上手くやり過ごしたりすることができる。


けど、ユベールの場合はその相手が母親であって、
自分が立場上は子どもなので、どうしてもコントロールできない感情が多発する。




そこで、自分自身を押し殺す試みをする。汚い感情に蓋を閉じて、相手に寄り添おうとする。





不器用な方法だけど、それしか術がないのもまた心苦しく共感してしまう。







観たらわかると思うけど
単純に、ガサツな母親=悪 な
思春期の成長ストーリーというのがメインテーマではない。




ちゃんと双方の人間らしい良い部分と嫌気がさす部分が客観的に描かれていると思う。






とっても愛しているのに、ものすごく遠くて交わらない絶望的な関係、
「I Killed My Mother」という原題がとても苦しくて悲しい。













「この若さでこれを描けるのはすごい!」とかいうレビューをよく見るけど
こんなにストレートで感情的な映画は、年齢関係なくグザヴィエ・ドランだから描けるのでは?と思います。



自分の感情的な部分をこんなに、臆することなくさらけ出せるのはすごいと思う。




だからこそ、心に訴えてくるものがあるし、この監督が好きなんだと思う。





大好きな監督は沢山いて、色々考えてきたけど
同い年の同じ感覚をもったアーティストに出会えたのはまた違う感動があります。




2013年で、とても大きな出来事です。

2013年11月14日木曜日

GUCCI CINEMA VISIONARIES





先日、GUCCI CINEMA VISIONARIESで「ワンダ(1970)」を観ました。







グッチは、傷んだ映画の修復と保存活動を行っているザ フィルム・ファウンデーションを2006年からサポートしていて、GUCCI CINEMA VISIONARIESをグッチ銀座に開設。

6月から始まっていて、「山猫」や「甘い生活」も上映していて行きたかったのですが、なかなか行けず。やっと終盤で行けてよかった!




story...監督と主演のバーバラ・ローデン演じるワンダは幸せに恵まれない平凡な生活を捨ててさまよううちに、三流の強盗と犯罪の道に足を踏み入れていく。男性から認められたいというワンダの願いとはうらはらに、傷つけられすさんだ生活から逃げ出すことができない(引用)




捨て犬のようなワンダ。
自分で考えることはせず、男にふらふらとついていく。
彼女からは、強くこうなりたいという意思は感じない。
見ていて、空虚な気分になりました。







恥ずかしながら、ザ フィルム・ファウンデーションの活動をよく知らず。







1990年に「タクシードライバー」などのマーティン・スコセッシ監督が創設。

映画フィルムは劣化が早く、10年を待たずに色あせや劣化がおこってしまうそう。性質上、腐食や損傷が避けられないらしい。
緊急の保護措置が必要とされているフィルムは1億5000万フィートを超えているとのこと。
歴史的な映画を未来の世代が鑑賞できるようにと修復と保護活動を行っていて、今まで560本以上の作品の保存活動を行っている。









会長のマーティン監督の文章の一部 ↓
「映画の歴史の中には、私たちの視野を広げ新たな美の概念を生み、芸術の味わい方を根底から変えた映画人たちがいます。
グッチの多大なサポートにより、これらの映画が美しく修復され、製作当時と同じくらいいききとした状態で鑑賞できる事実に、震えるほどの感動をおぼえています。これらの時代を超える力のある傑作ですから、製作当時より魅力を増しているかもしれません。」








映画でも本でも音楽でもファッションでも何年たっても色あせないものがあって
時間を飛び越えてきて、自分の中に浸透して伝わるものに、私は深く感動してしまいます。








そして映画は色々なアプローチで、今まで見ていた世界が180度変わることがある。
自分の見ていた景色が変わって、概念を根底から覆される瞬間は嬉しすぎて逆立ちしたくなる。



単純に夢見がちなので、紛い物というかファンタジー(ファンタジー映画を観てという意味じゃなくて)に包まれる興奮もある。







そして、時にファンタジーが現実を凌駕することもあると思うのです。








そういうパワーのあるものを、これからも観て体験したいです。













2013年10月16日水曜日

マイク・ミルズのうつの話



90年代のコラージュをして下さいと言われたら、私的に絶対はずせないマイク・ミルズの初のドキュメンタリー


「マイク・ミルズのうつの話」の先行上映会に行きました。







上映後、監督もSkypeだったけど(しかもカリフォルニアは午前1時)トークショーに参加してくれるという嬉しい企画






抗うつ剤を飲んでいる、5人の日本人のありのままの生活が撮られている




マイク・ミルズが日本で友人が抗うつ剤を服用しているのを見て、
“薬というのはアメリカ的な考え”なんではないかと思い始める。
健康の概念、ハッピーでなくてはいけないという欧米的な考え方の輸出。小さなカプセルの中にグローバリゼーションが起きていると感じる。

うつを調べていると
製薬会社が日本にも「心の風邪をひいていませんか?」という広告キャンペーンを展開していることを知り、
日本が舞台の「うつ」をテーマにしたドキュメンタリー制作をスタートする






どこかで「今回の作品は、マイク・ミルズ監督が、うつ患者の壮絶な日常を優しく捉え、日本社会の問題点をつく」みたいな宣伝を見たけど


ある意味合っているのかもしれないけど、
そんな大げさじゃない。と思う。




製薬会社の戦略の問題点よりも、
もっと、出演している5人の「人間」に寄り添っている



5人の出演者とマイク・ミルズの会話、持っている持ち物、習慣としていること、自分がアガるもの、過去の話などを織り交ぜながら、淡々とした日常が撮られている



なので、壮絶な物語というのではなく感動的なものでも、強いメッセージが込められているものでもないので、
正直「 観る 」というより「 眺める 」気持ちでした。







登場人物の1人で、プログラマーのケンという人がでてきますが
彼はホットパンツにハイヒールで街を歩く。そしてSMのショーに出演をし、縛られているときに快感を感じる




このシーンを
観ている最中にも関わらず、中傷的な声が会場で聞こえて
悲しい気持ちになった







その人なりの、
こだわりや、解放されるものだったり、気分がよくなることというのは、
個人の自由なんてことわかりきってるのにね



それでも
何かに拘束されてしまう窮屈さ、依存心、疎外感、自分自身の不自由さに縛られてしまう





心の弱い部分のすき間に、ふっと入ってくる「うつ病」の概念

でも、「うつ病」の認知度が上がったことや、抗うつ剤を服用することによって救われている人もいるので複雑だなって思う




色んな考えがあるだろうけど、
自分が単純に「気分がよくなること」をしていればいいと思う




その行為が他人にとって
不快でも、イケてなくても、迷惑をかけなければいいと思う







監督のメッセージや考え方は、この映画にはない。
観る側に委ねられる。





わたしは、
トークショーでマイク・ミルズが言った
「kindness」というワードが1番しっくりくる









出演者のミカさんが、サプライズゲストで来た時の、
嬉しそうに「ミカはとっても面白い人なんだ!」と教えてくれて
ミカさんに「赤ちゃんが生まれたよ!」と写真を見せていた姿が微笑ましかった




上記エピソードだけでなく
実際に話してる言葉や雰囲気を見聞きして


マイク・ミルズ監督は、
一点からではなく俯瞰でものを見れる優しい、人の痛みのわかる人
また受け入れることをしようとする人なんだなと感じた




どういう人間性かを知り、自分の中で今までの作品に納得がいって、大好きになったので参加できてよかった






新作の脚本も書いているそう!描いているテーマはいつも共通ですね。
楽しみ!