先日、グザヴィエ・ドランの初監督作品の「マイ・マザー」を観ました。
Story... 17才のユベール。悪趣味なインテリアに、テレビばかり観て教養のない母親との2人暮らし。なかなか安定した関係を築けず、愛憎入り混じった感情をコントロールできない
“思春期の鬱屈が描かれている”と何かで読んだ。
もちろんその通りなんだけど
それだけでは少し寂しい。
母親の口元の極端なアップから始まる最初のシーン。
この時点で何が今から始まるかというのがわかる。
母親の食事の食べ方、車内での言い合いのシーン、
対比のような母と息子の部屋など身に覚えがあるようなシーンが続く。
この作品を観て一番引っかかったのが
人との関係性について。また母と子のどうしようもないパラドックスについてでした。
他者との関係を築く中で、ぶつかる問題のひとつが
その人の「知識がない」ことへの嫌悪ではなく、
「知識を深めようとしない」ことへの違和感ってあると思う
その問題とは関係のないことなのに、セットになって
その個人へのやることなすこと騒音にしか思えないような憎悪にも似た感情が芽生えるというのもあると思う
あれ
これこそが、私小説風な思春期の鬱屈なのでしょうか
センスの良し悪しや、その人の生きる姿勢なんて
個人の自由なことは知ってて本当は意見なんてしたくない。
よくわかんないけど、
観ていて、痛くて辛かった。
恋人だったり、友達の場合は
関係を断ち切ったり、違和感を感じても他人だからこそ目を瞑って上手くやり過ごしたりすることができる。
けど、ユベールの場合はその相手が母親であって、
自分が立場上は子どもなので、どうしてもコントロールできない感情が多発する。
そこで、自分自身を押し殺す試みをする。汚い感情に蓋を閉じて、相手に寄り添おうとする。
不器用な方法だけど、それしか術がないのもまた心苦しく共感してしまう。
観たらわかると思うけど
単純に、ガサツな母親=悪 な
思春期の成長ストーリーというのがメインテーマではない。
ちゃんと双方の人間らしい良い部分と嫌気がさす部分が客観的に描かれていると思う。
とっても愛しているのに、ものすごく遠くて交わらない絶望的な関係、
「I Killed My Mother」という原題がとても苦しくて悲しい。
「この若さでこれを描けるのはすごい!」とかいうレビューをよく見るけど
こんなにストレートで感情的な映画は、年齢関係なくグザヴィエ・ドランだから描けるのでは?と思います。
自分の感情的な部分をこんなに、臆することなくさらけ出せるのはすごいと思う。
だからこそ、心に訴えてくるものがあるし、この監督が好きなんだと思う。
大好きな監督は沢山いて、色々考えてきたけど
同い年の同じ感覚をもったアーティストに出会えたのはまた違う感動があります。
2013年で、とても大きな出来事です。
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